去る5月24日、「絵手紙クラブほのぼの」の会員を中心とした総勢11名にて、岩手県大槌町の被災地を訪れました。
昨年より交流のあった ボランティア団体「サンガ岩手」代表の吉田律子さんとJR釜石駅で合流。吉田さんの案内で、被害のひどかった地区を高台から臨みながら当時の状況を説明していただき、その後 大槌町の赤浜へ。津波でところどころなぎ倒されている防波堤の先に、弁天神社を祀る離れ島が目に入ってきました。ここは”ひょっこりひょうたん島”のモデルとなった島で、津波で流されてしまった橋で震災以前は岸辺とつながっており、地元の方々は毎日橋を渡ってお参りに通っていたそうです。
この”ひょっこりひょうたん島”を臨む岸辺にて一同で追悼の勤行。あいにく風が強く蝋燭の火を灯すことはできませんでしたが、お線香を焚き、持参した花束を供えました。
この日のために、4月から絵手紙クラブの活動後は皆で声明の稽古を重ねて来ました。しかし読経が始まると、先ほど視た被災地の惨状や吉田さんから伺った当時の悲惨な状況などが脳裏をかすめ、胸がどうしようもなく締め付けられて目頭が熱くなってしまい、皆それぞれに涙声になっていました。読経後はお線香と花を一人一人が携えて海のそばまで下り波に流し、亡くなった方々を追悼して手を合せました。南無阿弥陀仏。
その後、被災した方々が暮す仮設住宅へも二か所立ち寄りました。
4月の永代経の頃より善慶寺にご縁のある方々が多数寄せ書きをして下さった幕、絵手紙、「語りの泉」の方々が昔話を自ら語り録音して下さった手作りCD、絵手紙クラブ会員の方手創りの押し花ストラップ等を手渡し、短い時間ではありましたが、お話を伺ったりして交流を深めることが出来ました。絵手紙を通じて始まった交流が、このように顔と顔を合わせ、言葉と言葉を交わし、手と手を合わせ、そして肩と肩を寄せ抱き合って涙することができることなど、思ってもみなかったことでした。人と人はつながり生かし生かされている、そんなことを思いました。
(左)安渡の仮設住宅の皆さまと (右)柾内の仮設住宅の皆さまと
被災地での詳細はまた後日ご報告できればと思っていますが、被災した方々は本当に温かく私たちを迎え入れて下さいました。しかしあの明るく優しい笑顔の裏には、私たちには想像もできない苦しみや悲しみがあるに違いなく、だからこそなおのこと、その辛さを共有できない私たちを何故にあれほどまでに優しく受け入れて下さることができるのか・・・。只々 頭が下がり、申し訳なく思いました。私たちは被災者を悼み励ますことなど何一つできず、反対に私たちこそが励まされ、安穏と過ごしている日常の在り方生き方を彼らによって問い直されたのでした。
被災者に限らず、東北の方々は皆温かく優しかった。この旅を計画している段階から、問い合わせの電話をすればどの会社も団体も親切丁寧に親身になって相談に乗って下さり、仕事だからと事務的なつっけんどんな態度のところは一つもなかった。旅先でも、店先でちょっと尋ねただけなのに、あれこれと親切に時間をかけて様々な情報を教えて手助けして下さった。営利を優先に考えればとても採算に合うような接し方ではない。このような人々と触れ合い、生きていく上で何が大切なのかを考えさせられた。
時間とお金、効率を第一優先に日暮しをしてきたのが私たちではなかったのか。そんな中で自ら何を切り捨てて来たのか、そして知らぬ間に何が切り捨てられて来たのか。そんな暮らしを続けていって、果たして震災で犠牲になった方々に顔向けができるのか。そして幸せだと言えるのだろうか。
最後になりましたが、今回の旅にご協力をしていただきました方々、そして東北の皆さんありがとうございました。